91番歌~100番歌

きりぎりす
鳴くや霜夜しもよ
さむしろに

ころもかたしき
ひとりかも

後京極摂政前太政大臣ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん

こおろぎがしきりに鳴いている霜の降るこの寒い夜に、むしろの上に衣の片袖を敷いて、わたしはたったひとり寂しく寝るのだろうか。

わがそで
潮干しおひに見えぬ
おきの石の

人こそ知らね
かはくまもなし

二条院讃岐にじょういんのさぬき

わたしの袖は、潮が引いたときも水面に見えない沖にあるあの石のように、人は知らないでしょうが、(恋のために流す涙で) 乾くひまさえありません。

世の中は
つねにもがもな
なぎさこぐ

あまのをぶねの
つなでかなしも

鎌倉右大臣かまくらのうだいじん

この世の中はいつまでも変わらないでいてほしいものだ。渚にそって漕いでいる、漁師の小船をひき綱で引いている風情はいいものだからなぁ…

吉野よしの
山の秋風
ふけて

ふるさと寒く
衣うつなり

参議雅経さんぎまさつね

吉野の山の秋風に、夜もしだいに更けてきて、都があったこの里では、衣をうつ砧(きぬた)の音が寒々と身にしみてくることだ。

おほけなく
うきたみ
おほふかな

わがたつそま
墨染すみぞめそで

前大僧正慈円さきのだいそうじょうじえん

身のほど知らずと言われるかもしれないが、(この悲しみに満ちた) 世の中の人々の上に、墨染の袖を被いかけよう。 (比叡山に出家したわたしが平穏を願って)

花さそふ
あらしの庭の
雪ならで

ふりゆくものは
わが身なりけり

入道前太政大臣にゅうどうさきのだいじょうだいじん

(降っているのは) 嵐が庭に散らしている花吹雪ではなくて、降っているのは、実は歳をとっていくわが身なのだなぁ。

こぬ人を
まつほのうら
夕なぎに

焼くやもしほの
身もこがれつつ

権中納言定家ごんちゅうなごんていか

どれほど待っても来ない人を待ち焦がれているのは、松帆の浦の夕凪のころに焼かれる藻塩のように、わが身も恋い焦がれて苦しいものだ。

風そよぐ
ならの小川の
夕ぐれは

みそぎぞ夏の
しるしなりける

従二位家隆じゅにいいえたか

風がそよそよと楢(なら)の葉を吹きわたるこの奈良(なら)の小川の夕方は、(もうすっかりと秋のような気配だが) 川辺の禊祓(みそぎはらい)を見ると、まだ夏であるのだなぁ。

人もをし
人もうらめし
あぢきなく

世を思ふゆゑに
もの思ふ身は

後鳥羽院ごとばいん

人が愛しくも思われ、また恨めしく思われたりするのは、(歎かわしいことではあるが) この世をつまらなく思う、もの思いをする自分にあるのだなぁ。

ももしきや
ふるきのきばの
しのぶにも

なほあまりある
昔なりけり

順徳院じゅんとくいん

御所の古びた軒端のしのぶ草を見るにつけ、(朝廷の栄えた) 昔が懐かしく思われて、 いくら偲んでも偲びきれないことだ。